闘病記や障害者の本のプロフェッショナル
※電話・FAXでもご注文を承っております。弊社までご連絡ください(送料が必要です)。
還暦を迎えても優れた記憶力はエピソードの細部まで再現し、今なおみずみずしい感性は、笑って、怒って、涙して、そして考察する。「東京オリンピック」「新幹線」「近鉄特急」「ザ・タイガースショー」などなど、その時代を生きた者にはありありと共感できるエピソードのオンパレード。その時代を思い出しつつ、心から楽しく読み進むことができる。そして最後には、“一生懸命生きることは楽しく、尊い”ことを気づかされる極上のエッセイです。
震災復興に立ち向かう一人の大阪人の物語
瓦礫から拾ったカメラに収められていたのは津波3時間前の子供たちの卒業写真。その戸倉中学校の子供たちとの感動の再会。南三陸町防災庁舎から流されただ一人生還した人との出会い。バッティングセンター建設を夢見る親子の話などなど。350枚の写真と卓越した文章で、震災の現実が貴方の心に洪水のように押し寄せます。あなたも震災からの3年間の感動のドキュメントを心に深く刻んでください。
この本は、ある青年の記録です。彼は連合王国(UK)ウェールズ国で生まれ、日本や海外で幼児期を過ごし、『地球人』として育ちました。考古学を学ぶために琉球大学へ進学、オーストラリア留学なども経験し、沖縄で亡くなりました。海をこよなく愛する彼は、大学でサーフボールと出会い、仲間たちと海を楽しむ一方、ライフセーバーの資格を取って、ウォーターロックラグビーなどでも活躍。水中考古学で世紀の大発見となった「元寇船発見」の池田先生に師事していました。
「わたしの故郷は“間人”と書いて、なぜ“たいざ”と読む?」…… 京都府の北部、丹後半島に「間人」と書いて「たいざ」と呼ばれている町があります。明治の頃には間人村と呼ばれ、その後町村合併などで丹後町となり、現在では京丹後市の一部となっている。この間人の歴史考察と、11もある地名の由来の諸説を紹介し、そのひとつ一つに検討を加えます。
テレビの報道職場で働きつつ二人の子どもを出産、育児にも追われる日々の赤裸々な記録です。少子化真っ只中という日本の企業社会の矛盾も経験し、いまだに妊婦への無理解が残る男性社会に対して、ちょっとだけ憎まれ口も叩いてみました。こころがいつしか元気になる本です!
増大・加速する親の要求、責任のがれする管理職・教育委員会。勉学意欲をもたず、奔放にふるまう子供たち。押しつぶされ、壊れゆく教師……
崩壊するべくして崩壊した日本の教育に未来はあるのか。
教師歴40年の著者が、再生への願いをこめて赤裸々に語る――
「パンに耳うどんに腰や冬うらら」「風呂吹がよかろ閻魔に賄賂なら」。「希妙さんは、奇妙な句が得意。」と坪内稔典が評価する、待望の第一句集、発刊。
昭和のあのころ、人生には物語があった
偶然に出会い、そして何気に別れた、ただ、それだけのことだったのだ。 東京赤坂一ツ木通りの商店街に開店した佃煮屋を舞台に、戦前戦後の風景が主人公たちと共にみごとに甦る、郷愁にあふれた社会小説。伝播する激情の波。皆、熱病に冒されていたのだ。
新たなミッションは、校長先生。高校生とともに、青春を謳歌! 自衛官として、校長として、生き方を全うした著者が語る元自衛官の痛快エッセイ。
著者が10代の頃から考えていたこと。それは、国の2本柱は「国防」と「教育」であること――。その2つを全うしたいという夢を見事叶えた、著者のチャレンジ人生を網羅したエッセイです。第2の人生を、自衛官の定年である56歳からスタートさせ、大阪府の民間人校長公募に応募して、合格! 自衛官出身者が公立学校の校長になったのは初めてのことで、当時からマスコミにも注目されました。そんな中、大阪府立狭山高校に赴任し、第2の青春がスタート。高校生とともに、楽しくも充実した学校生活。そして、持ち前のバイタリティを発揮して、さまざまな教育改革を行いました。著者ならではの教育観と行動力によって挑戦した5年間に魅了される、充実のエッセイとなっています。
兄と共に世界ブランド「カッターナイフ」を発明した著者・岡田三朗氏。今はオルファ(株)相談役として、子供たちに自然にふれて遊ぶ楽しさを教えています。その思いや活動が1冊の本になりました。